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執筆家の楠木新さんがインタビュアーとして、
噺家の皆様に「落語家になったワケ」をお聞きした読み物になります。
第四十八回は月亭 天使さんです!
人生の中で落語家になった転機をインタビュー。
ビジネスマンなどにセカンドキャリアのご参考になるかも...?!
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遠回りが落語を活かす
(月亭 天使インタビュー)
本名 福田 和栄
生年月日 8月26日
出身地 大阪府豊中市
入門年月日 2010年(平成22年)2月16日 師匠「月亭 文都」
公式X @tsukiteitenshi
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私の実家は、大阪府豊中市庄内で両親が豆腐店を営んでいました。店が一階で住まいが二階。両親は商売で忙しく、兄と二人で過ごすことが多い、いわゆるテレビっ子でした。小さい頃から漫才やコントなどのお笑い番組をよく観て育ちました。
一方で、小学生の頃から小説や物語を創作したいという気持ちもありました。中学生になると友人との手紙交換が次第に長文化し、いつしかエッセイ風の文章を書くようになります。漫画とエッセイの両方を手がけていたさくらももこさんに憧れ、将来は「書き手になりたい」という思いを抱いていました。
龍谷大学文学部哲学科へ進学し、心理学研究会に所属しました。文化祭では来場者に心理テストを行う企画を担当しましたが、言葉によって人の内面に触れることへの関心は、この頃から続いていたように思います。
卒業後は京都の出版社に入社。市町村が発行する広報冊子やガイドブックを制作する会社でした。原稿は上司や行政担当者の確認を何度も経て完成します。手続きに時間をとられて終電を逃すことも珍しくありませんでした。また「悪いことは書けない」「ネガティブな表現は避ける」といった広報特有の制約に、次第に違和感を覚えるようになります。
3年勤めたのちに退社。派遣社員として事務職に就きながら、「自分は何をしたいのか」を模索する時期が続きました。
休憩時間に何気なく検索したR-1グランプリ第一回大会のサイトで素人審査員募集を知り、応募しました。そこで観たのが露の都師匠の落語でした。
短い時間でしたが、『初天神』の情景が鮮明に浮かび、「この人、めちゃめちゃおもろいな」と強い印象を受けました。これをきっかけに落語を聴くようになり、『落語百選』(ちくま文庫)などの本も読むようになります。ただ、この時点では自分が演じるという発想には至っていませんでした。
その頃、宮藤官九郎脚本の映画『GO』に衝撃を受け、「脚本を書きたい」と大阪シナリオ学校へ入学します。映画脚本コースと演芸作家コースがありましたが、「なんとなく面白そうや」と直感的に演芸作家コースを選びました。
半年後に放送作家でもあった講師の勉強会に通い、漫才台本の執筆を始めました。実際に舞台で演じてもらったこともあります。ちょうどその頃、天満天神繁昌亭が誕生し、新作落語台本の募集も始まりました。
その後は、当時桂文福師匠も参加していた『もぎた亭』というプロの落語家さんに自作を提供して演じてもらうという会に参加。新作落語を書き始めました。しかし次第に、特に若い女性の役柄において、自分のイメージとの違和感を覚えるようになります。
「これは、自分でやった方が早いんじゃないか」
同じ頃、繁昌亭でアルバイトをしており、女性落語家たちの姿を間近で見ていたことも、その思いを強くしました。
そこから、「いきなり落語家へ」とはならない(笑)。まずは演じる力を試そうと、兵庫県立ピッコロ演劇学校へ入学。一年制の学校で、演技の基礎を学びながら、中間発表と卒業公演の二本とも自作の脚本が採用されました。自ら舞台に立つことで、人前で話す手応えと喜びを知りました。一方で演劇は集団で作る芸でもあります。演技の責任や解釈をめぐる微妙な感情の衝突も経験しました。「ひとりで完結できる落語の方が、自分に向いているのではないか」そう感じるようになっていきました。

さまざまな落語会に通う中で、後に師匠となる月亭文都(当時・八天)の高座に出会います。小説家・田中啓文氏による新作落語を演じる会で、それまでとは異なるアプローチに強く惹かれました。元々、小説や物語が好きだったこともあるのでしょう。また古典も本格派で、所作の美しさにも魅力を感じました。
劇団活動を終えた翌年、NGKの地下劇場での終演後に出待ちをして、「すいません、入門したいんですけど」と直談判します。突然の申し出に、師匠は戸惑った様子でした。その場で喫茶店に入り話を聞いていただきました。「本気でやるつもりなら、また落語会に来なさい」と言われました。
拒絶ではないが即決でもない。師匠自身も迷っていたのでしょう。大師匠である月亭八方師匠が「向こうがやりたい言うてんねんやったら、やらしたったらええんちゃうか」という発言が後押ししたと後に聞きました。こうして2010年2月に入門が決まりました。
弟子の期間中は、庄内の自宅から毎日、大阪の師匠宅へ通う毎日。掃除、洗濯、身の回りの世話。やがて犬の散歩も日課になりました。
朝に家事を済ませ、仕事に同行し、稽古をつけていただく、ネタを覚える時間ももちろん必要です。とにかく忙しい日々でした。
ちょうど師匠の襲名時期とも重なり、日常の空気も張りつめていました。それでも私には迷いはありませんでした。年季明け後は前座出演に加え、鳴り物や司会など、話芸を活かした仕事も増えていきました。
入門から15年。振り返れば「あっという間」でした。必ずしも順風満帆というわけではありません。賞レースで結果を残す同期や後輩を見て悔しさを覚えることもありました。それでも、遅いスタートを後悔したことはありません。
最初は教えられた通りに喋るだけで精一杯でしたが、技術が身につくにつれ、これまでの人生で感じてきた感情を噺に乗せられるようになってきました。
目標は、「月亭天使」と聞けば芸風が思い浮かぶような個性のある存在になることです。
現在は古典落語を中心に高座に上がっていますが、新作にも強い意欲を持っています。
「全部、自分で書いて、自分で演じる」こともやってみたい。また落語を芝居や物語に取り込むような作品にもチャンレンジしたいと考えています。
(2月5日 神戸新開地・喜楽館にて)

この日の喜楽館昼席は「猫LOVEウィーク」。猫好きの落語家さんが勢揃いし、ロビーも猫グッズで賑わう和やかな雰囲気に包まれていました。昼席と夜席の合間に、月亭天使さんにお話をうかがいました。
今回、特に印象に残ったのは、子どもの頃のお笑いや「書くこと」への興味から、落語家入門を決意するまでの道のりでした。
これまでのインタビューでも、落語家への道は実にさまざまです。一直線に入門へ進む人もいれば、会社員や教師を経験してから門を叩く人、あるいは別の芸能分野から転身する人もいます。
天使さんの場合、大学卒業後に出版社へ勤務し、派遣社員として働きながら、漫才や落語の脚本執筆に携わり、繁昌亭でのアルバイトを経験し、さらに演劇学校へ進学するなど、落語へ直接つながるようでいて、少し距離のある道を歩んできました。
入門にたどり着くまでの助走距離は、最長クラスでしょう。しかし、その遠回りにも見える経験こそが、高座で語られる噺や人物描写に確かな厚みを与えていくように感じました。今までの経験を芸風に活かして、ご活躍してください。
「期待してまっせ―!」
<楠木新(クスノキアラタ)>
1954年神戸新開地界隈で生まれる。
大学卒業後、日本生命に入社。
50歳から勤務の傍ら、取材、執筆、講演活動に取り組む。
2015年定年退職。
2018年~2022年神戸松蔭女子学院大学教授。
25万部超のベストセラーになった『定年後』をはじめ著書多数。


