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執筆家の楠木新さんがインタビュアーとして、
噺家の皆様に「落語家になったワケ」をお聞きした読み物になります。
第四十六回は京山 幸太さんです!
人生の中で浪曲師になった転機をインタビュー。
ビジネスマンなどにセカンドキャリアのご参考になるかも...?!
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知名度を高めていきたい
(京山 幸太インタビュー)
本名 山本 壮秀
生年月日 1994年(平成6)年5月9日
出身地 兵庫県加古川市
入門年月日 2013年(平成25年)9月 師匠「2代目 京山 幸枝若」
公式X @sosurre_e
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私は加古川市で生まれ、中学からは姫路の淳心学院に通っていました。野球に打ち込む日々を送っていましたが、14歳のとき、バッティング練習中に自打球が目に当たり、そのけがが原因で野球を続けられなくなりました。
その後は自堕落な生活を送っていたのですが、同級生に誘われてロックバンドに加入したことをきっかけに、音楽にのめり込んでいきました。中学2年の文化祭で、初めて人前で歌を披露。そこからベース(低音パート)に夢中になり、ブルースやジャズにも強く惹かれていきました。
私は一度はまると徹底的にのめり込むタイプです。学校へ行く時間も「練習したい」という気持ちが勝り、高校を中退しました。親には反対されましたが、最終的には「音楽のレッスン代と通信制高校の学費を自分でバイトして払う」という条件で、退学を認めてもらいました。
加古川市内のジャズバーでアルバイトをしながら、そこで出会ったベーシストの方にエレキベースやウッドベースを教わっていました。ジャズミュージシャンとして作曲もしたい一方で、「本当に自分がやりたいジャンルはこれなのか」という迷いもありました。ただ、人前に立って表現したいという思いだけは強く、いろいろと調べていました。
『年下の男の子』などのキャンディーズの楽曲も多く手がけた作曲家・穂口雄右さんに、面識もないまま当時の悩みをメールで相談しました。ダメ元のつもりでしたが、丁寧な返信をいただき、「浪曲は、今の漫才や演歌のルーツでもあるので、一度聴いてみるといいですよ」と勧められたのです。
浪曲という言葉すら知らなかったのですが、インターネットやYouTubeで調べると、三波春夫と村田英雄による掛け合い浪曲の動画が出てきました。浪曲界出身の大御所歌手による共演で、忠臣蔵の知識もないまま聴いたのですが、語りと歌が一体となった音やリズムがとにかく格好良く、強く惹きつけられました。そこから夢中で浪曲を調べ始めました。

2013年3月、「生で浪曲を聴きたい」と思い、後に師匠となる京山幸枝若が個人レッスンをしていた吹田市の浪曲教室に飛び込みました。本来であれば師匠の浪曲会に行くべきだったのかもしれませんが、その方法すら分からず、ネット検索でたどり着いたのです。
初めて聴いた浪曲は、衝撃的に格好良かった。私は音から入るタイプなので、こぶし回しやリズムが、日本の土着のブルースのように感じられました。その場で師匠に「弟子にしてください」とお願いしました。
「なぜ浪曲をやりたいのか?」と聞かれ、ネットで調べた知識を総動員して、「浪曲の演者も高齢化しているので、10代の自分が入れば若返りにもなりますし......」などと、今思えば赤面ものの生意気なことを言ってしまいました。それでも師匠は受け止めてくださり、「浪曲は、しゃべれるだけでもあかんし、音痴でもあかん。音源はいくらでもあるから、まず一席覚えてきなさい」と言ってくださいました。
師匠の教室に通いながら稽古を重ね、半年後に一席を披露。三味線の曲師さんもついていただきました。師匠からは「まだ下手やけど、まあええわ」と言っていただき、2013年9月、19歳で入門しました。
入門した年には、クラブミュージックに興味を持っていたこともあって、「海外に行きたい」という思いから、大阪・枚方の関西外国語大学に入学が決まっていました。修行期間中は大学生でもあり、平日は授業、休日は師匠のお仕事に同行する生活でした。
師匠に稽古をつけていただいて、入門後数か月で、松戸と姫路の少年刑務所での慰問が初舞台となり、そのときに「幸太」という名前をいただきました。
今までずっと何かを表現したい気持ちだけはあったのですが、浪曲に出会って、ようやく自分がやるべきものが目の前に現れた感覚がありました。3年間の修行期間中、年間50回ほどお客さんの前で演じる機会をいただき、覚えたネタは12本ほどだったと思います。

年季が明けると、自分で会を催すことができるようになります。同時に自分で稼いでいかなければなりません。大学生の間は、家族からの仕送りと奨学金で何とか生活を賄っていました。
独立後、落語家でいう「前座バブル」のような時期はありませんでしたが、師匠の会の前座などの仕事もあり、徐々に自分の仕事も増えていきました。質素な生活を送りながらバイトをせずに過ごしました。ここ数年で、「令和4年度文化庁芸術祭新人賞」「令和5年度咲くやこの花賞」「2023大阪文化祭賞奨励賞」を立て続けにいただけたことも、大きな励みになっています。
同世代の浪曲師は、3年先輩の真山隼人さんくらいで、その上は15年ほど間が空きます。また関西で活動している浪曲師も20人未満だと思います。仲間とのつながりが少ない寂しさもありますが、逆に言えば注目されやすい立場でもあると感じています。
浪曲師として14年目に入りました。独演会のほか、一心寺の浪曲会や文楽劇場の会のほか、敬老会、学校寄席などにも出演しています。本日の喜楽館のような落語中心の寄席への出演は、それほど多くはありません。
今は、浪曲そのものと、自分自身の知名度を高めていくことが必要だと考えています。お客さんに知ってもらい、足を運んでもらわなければ始まりません。過去に浪曲を聴いている人はほとんどいないので、古典であってもお客さんが「知っている」前提では成立しないのです。
稽古を積み、ネタを書く研鑽を重ねるのは当然のことです。私は音楽から浪曲の世界に入りましたが、ネタや台本を書くことも好きで、自分なりの色を出せると分かってきました。新しいファン層にも届く表現をいろいろと模索しています。
M-1チャンピオンの錦鯉さんが所属する芸能事務所に入り、笑いを取り入れる試みを行ったり、『源氏物語』を題材にした新作を発表したり、作家・町田康さんの作品を浪曲に脚色する形で共作したりしています。
浪曲師は40代、50代が全盛期と言われます。基礎力を磨きながら、「それは浪曲か?」と言われるくらいの従来の枠組みを超えた挑戦も重ねて、可能性を追求していきたいと思っています。
(1/8神戸新開地の喜楽館にて)

一昨年、神戸新聞夕刊のエッセイ欄「随想」で連載を読んだのが、京山幸太さんを知るきっかけでした。さらに昨年10月27日、喜楽館夜席の『国宝 ―神戸落語まつり特別企画』で、人間国宝・京山幸枝若師匠の浪曲を初めて聴き、その芸の力強さはもちろん、にじみ出るお人柄にもすっかり魅了されました。
そんな流れもあって、喜楽館昼席に一週間通しで出演されていた幸太さんにインタビューをお願いしました。
ご本人の「徹底的にのめり込むタイプ」という言葉どおり、中学生で音楽に目覚めてから浪曲師になるまでの歩みは、一つの物語を聴いているようでした。
この日の昼席では、幸太さんの地元・加古川名物「かつめし」を題材にした浪曲を披露され、土地の匂いや人の温もりが伝わってくる舞台でした。
さまざまな挑戦を重ねながら、幸太さんご自身、そして浪曲という芸の知名度を、これからもどんどん高めていってください。
「期待してまっせ―!」
<楠木新(クスノキアラタ)>
1954年神戸新開地界隈で生まれる。
大学卒業後、日本生命に入社。
50歳から勤務の傍ら、取材、執筆、講演活動に取り組む。
2015年定年退職。
2018年~2022年神戸松蔭女子学院大学教授。
25万部超のベストセラーになった『定年後』をはじめ著書多数。


