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執筆家の楠木新さんがインタビュアーとして、
噺家の皆様に「落語家になったワケ」をお聞きした読み物になります。
第四十七回は露の瑞さんです!
人生の中で落語家になった転機をインタビュー。
ビジネスマンなどにセカンドキャリアのご参考になるかも...?!
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目標は、定席の落語会でトリをとること
(露の瑞インタビュー)
本名 金田 有香
生年月日 1988年(昭和63)年2月6日
出身地 大阪府
入門年月日 2013年(平成25年)2月24日 師匠「露の都」
公式X @mizuho_t0224
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小学生の頃は、とても大人しく、人前で発言することもできない子どもでした。転機は中学で入った演劇部。舞台に立つうちに、少しずつ自分を出せるようになりました。
帝塚山学院泉ヶ丘高校では演劇部とワンダーフォーゲル部に所属。クラスで先生のモノマネを披露して笑ってもらうのが何よりの快感でした。
京都女子大学に入学すると、「コントや漫才などお笑い全般ができる」と聞き、落語研究会に入部しました。当時は落語の知識はほとんどありませんでした。
部員は10人未満。先輩から「落語もやってもらわんと困る」と言われましたが、正直、その時点ではやりたいとは思えなかったのです。
ところが、京都で米朝一門会や各地の落語会に足を運ぶうちに、どんどん引き込まれていきました。一人で演出し、一人で演じる。高校時代に友人を笑わせようとしていた延長線上に、落語があると気づいたのです。
やがて先輩にネタ見せをし、文化祭や京都産業大学・立命館大学との合同寄席、地域の老人施設や喫茶店などで高座に上がるようになりました。少人数のため、毎週末どこかで出番がありました。
当時はYouTubeもなく、プロの落語家のCDやDVDを買って学んでいました。
大学3回生の秋、就職活動が始まります。リクルートスーツを着て企業合同説明会にも行きました。しかし、どうしても違和感が拭えない。「自分がやりたいのはこれじゃない」という思いが強くなり、個別の会社は回りませんでした。
人を喜ばせる仕事がしたい。その思いは、やはり落語へと戻っていきました。
枝雀一門の落語が好きで、雀々師匠の落語会にも通っていました。4回生の時に弟子入りを志願すると、「卒業したらおいで」と言っていただきました。実は、大学の落研と並行して、河内長野のアマチュア落語サークルにも所属していました。代表が雀々師匠と懇意だったこともあり、比較的スムーズに入門が決まりました。
卒業後は吹田市にアパートを借り、通い弟子に。しかし入門から1年半後、師匠が東京へ進出されることになりました。それを機にさまざまな事情が重なり、落語家を廃業しました。それからは、派遣会社に登録し、大手家電量販店で光回線や携帯電話の営業に従事。落語から離れた一年でした。

働きながら、「自分は、本当は何がしたいのか」と問い続けました。区切りをつけたはずの落語への思いが、再び大きくなっていきます。
ある日、露の都の高座を観て衝撃を受けました。
「なんや、このおばちゃんは!」
失礼な言い方ですが、それが正直な感想でした。飾らず、構えず、まるで井戸端会議の延長のように語りながら、お客さんに大いにウケている。
それまで私の中で落語家といえば、どこか重厚で、男性社会の匂いが濃い世界の人という印象がありました。でも師匠は違いました。普段のおしゃべりのような語り口で客席を沸かす。お客さんとの距離の近さに驚きました。
その後は露の都の落語会に通い続け、顔を覚えてもらった頃、繁昌亭終演後の楽屋口で弟子入りを直訴しました。電信柱の影で待ち、お見送りが終わった瞬間に走り寄って「弟子にしてください!」と。
断られる覚悟でしたが、返ってきたのは「ええよ」。続けて「生年月日と生まれた時間を教えてくれるか」と言われました。後に、占いや風水に凝っておられることを知りました。私との相性は良かったそうです。弟子入りは、25歳の時です。
実家の堺から東大阪の師匠宅へ通い、朝9時から掃除、買い物、仕事場同行の日々。
弟子生活は厳しく、細やかでした。掃除、買い物、所作の一つとっても師匠は妥協を許しません。
お皿の置き方一つにも「こうすれば水がきれいに落ちる」と指導が入ります。師匠は芯なしトイレットペーパーを購入して、お手製の芯を入れて使っていました。それを知らずに捨ててしまって激怒されたこともありました。「初めから芯の入ったものを買えばいいのに……」と内心で思っても平謝りでした。
同時に、家庭も、舞台も、弟子も抱えながら第一線で走り続ける姿を通して、師匠は女性としての生き方も背中で示してくれました。二年目に妹弟子の棗(なつめ)が入門し、悩みを共有しながら修行を重ねました。
弟子期間中に、師匠が手配してくれて出稽古に出ることもありました。本日の昼席のトリだった銀瓶師匠にもお稽古をつけていただきました。また繁昌亭で行われていた月一回程度の若手の勉強会にも参加しました。修行明けは前座の仕事にも恵まれ、多くの高座経験を積みました。
独立して13年目になりました。先日、お寺での仕事の後、住職から「家族を亡くされた方が、久しぶりに笑って“来てよかった”と言っていた」とお聞きました。その言葉が何より嬉しかったのです。
現在は東大阪でキッズ落語クラブを開き、小中学生5人に教えています。2年目ですが、次世代の人たちにもっと落語の楽しさを伝えていきたい。
そして私の目標は、繁昌亭や喜楽館といった定席の落語会でトリをとること。トリは、その日の空気をまとめ、責任を引き受け、余韻を残す存在です。「今日は最後にあの人が出るから楽しみや」とお客さんに言ってもらえる落語家になりたい。
稽古に真摯に取り組むのは当然ですが、それだけでは足りません。その日の客席が何を求めているのかを瞬時に読み取る力。常にアンテナを張り、細部まで気を配る感性。師匠方の高座を見ていると、広い視野で物事全体を把握している凄みがあります。
落語以外でも、さらに人生経験を積んで、噺に深みを持たせることも求められるでしょう。今後も精進を重ねる必要を常に感じています。
(1月22日 神戸新開地・喜楽館にて)

本日の喜楽館昼席で、露の瑞さんは「ちりとてちん」を表情豊かに演じ、客席を沸かせていました。あまり男女で語るべきではないのかもしれませんが、男性二人の高座の後に瑞さんが登場すると、客席の空気がふっと軽やかに変わりました。場が一段華やぐような感覚でした。
昼席後の会議室でも、舞台と変わらずほがらかに語っていただきました。
会社勤めには自信がなかった、と話されていましたが、元採用責任者の立場から見れば、明るく受け答えもしっかりしていて、まったく心配はいらない印象です。会社訪問を重ねれば、すぐに内定が出ていたことでしょう。
もっとも、ご本人が選んだのは会社ではなく、落語の道でした。
自ら独演会を開くのとは違い、定席でトリをとるという目標は、決して容易なものではないでしょう。その日の空気を締めくくる責任。お客さんや主催者の期待を一身に背負う重み。そこには実力だけでなく、積み重ねてきた信頼が求められます。
地道な研鑽に、持ち前の明るさが重なれば、きっとその日は来るはずです。喜楽館や繁昌亭の最後に、瑞さんが高座に上がる日を楽しみにしています。
「期待してまっせ!」。
<楠木新(クスノキアラタ)>
1954年神戸新開地界隈で生まれる。
大学卒業後、日本生命に入社。
50歳から勤務の傍ら、取材、執筆、講演活動に取り組む。
2015年定年退職。
2018年~2022年神戸松蔭女子学院大学教授。
25万部超のベストセラーになった『定年後』をはじめ著書多数。


