神戸新開地・喜楽館

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トップページ > ニュース > メディア掲載 > 7/2神戸新聞『論~ひょうご』に掲載されました!

神戸新聞に神戸新開地喜楽館に関する記事を掲載いただきました。

 

―ひょうご―

論説副委員長 小野秀明

 

 

 

~「神戸の噺家」育てる寄席に~

上方落語の定席「神戸新開地・喜楽館」(神戸市兵庫区)が11日にこけら落としを迎える。巨大なちょうちんがつるされ、真新しい建物がその日を待っている。

「東の浅草、西の新開地」―。

映画館、劇場、寄席などが並び、大正から昭和にかけて一代歓楽街だった新開地。にぎわい復活へ、さまざまな人が汗を流してきた。

きっかけとなったのは、地元の寿司職人のある行動だった。

奥さんの実家の「源八寿司」で働く新将一郎(40)さんが、新聞で上方落語協会が「第二の繁昌亭」の候補地を神戸で探していることを知り、新開地はいかがですかと手紙を送った。すぐに協会長だった桂文枝さんらが現地を見学に訪れ、話が進み始めた。

その後を受け、ここまで形にしたのが高四代(71)さんだ。「新開地まちづくりNPO」の理事長などを務め、実現へ奔走した。

喜楽館は一度、暗礁に乗り上げかけたことがあった。文枝さんが苦渋の表情を浮かべながら高さんに会いに来た。資金面などから難しくなったと言う。

大阪の「天満天神繁昌亭」は順調だったが、さらに常設の寄席が増えることに懸念を示す落語協会員もいた。

まともに顔を見ない文枝さんに、高さんは声を掛けた。「やめるのは簡単。精いっぱい、とことん行きましょう」。文枝さんに笑みが戻り、再び動きだした。

落語は今、ブームだといわれる。上方の落語家は200人を超える。だが、戦後すぐは10人程度しかおらず、火が消えかけた。そのころに入門した若手がやがて上方落語を再興した。後に四天王と称された桂米朝さんらである。

当時師匠クラスが相次いで亡くなった。残された若手にネタを伝えたのが明治生まれの古老たちだ。神戸出身の橘ノ円都師匠もその一人だった。

円都師匠は新開地の寄席を中心に活躍していた。米朝さんは著書「藝、これ一生」で、「『神戸の噺家』ということにこだわっておられました」と懐かしんでいる。珍しいネタを多く持ち、後輩に惜しげもなく教えたという。

喜楽館下の期待は大きい。まずは新開地ににぎわいを取り戻す起爆剤になることだ。もう一つある。高座で客との真剣勝負を繰り広げた落語家が、全国を笑いの渦に巻き込む。そんな「神戸の噺家」を育てる寄席となってほしい。

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