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2026/09/21

第六十一回「回り道を経て見つけた居場所」<笑福亭 大智インタビュー>

執筆家の楠木新さんがインタビュアーとして、
噺家の皆様に「落語家になったワケ」をお聞きした読み物になります。

第六十一回は笑福亭 大智さんです!
人生の中で落語家になった転機をインタビュー。
ビジネスマンなどにセカンドキャリアのご参考になるかも...?!

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回り道を経て見つけた居場所
(笑福亭 大智インタビュー)
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芸名 笑福亭 大智(しょうふくてい だいち)
本名:荒川 寿
生年月日:1978年(昭和53年)10月24日
出身地:兵庫県
入門年月日:2013年(平成25年)10月1日 師匠「笑福亭仁智」
公式X:@daichishofuku

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志の輔師匠の落語の衝撃

幼い頃に、近所のおじいさんの家で落語を耳にしていましたが、「それほど面白いものでもないな」というのが正直な感想でした。そんな私の目を覚まさせたのが、中学生の時にテレビで観た立川志の輔師匠の落語でした。たった一人で座布団に座り、爆笑を巻き起こしていく姿を観て、「一人でこんなにおもしろいことができるんや!」と全身に衝撃が走ったのです。当時夢中だったのは地元・尼崎出身のダウンタウンの漫才でしたが、それとはまた違う面白さを感じました。とはいえ、それですぐに「落語家になろう」という決意に変わったわけではありません。

ノストラダムスの大予言を本気で信じた

10代から社会へ出て身体を使う仕事を始めました。バイクをいじるのが大好きだった私は、おぼろげな知識で「単車を触るなら板金屋や」と思い立ち、板金業の門を叩きました。入社すると、屋根に銅板を葺く仕事をしながら「いつになったら車を触らせてもらえるんですか」と親方に尋ねたところ、「何言うてんねん、うちは建築板金や」と言われて初めて自分の勘違いに気づきました。一度は「もう辞めます」と口にしましたが、親方に「最近の若い奴は根性がない」と一喝され、そのまま板金屋の仕事を続けました。

当時は「1999年に地球が滅亡する」というノストラダムスの大予言を本気で信じており、「どうせ終わりやから、適当に生きたらええ」とどこか投げやりな気持ちで日々を過ごしていました。

時代劇の大部屋俳優へ

ところが、1999年が過ぎても、2000年になっても世界は何も変わりません。「それなら、自分の人生をちゃんと歩もう」と思ったときに頭に浮かんだのが、子どもの頃に憧れた落語家という生き方でした。しかし当時はインターネットもまだ広く普及しておらず、弟子入りの方法がわかりません。友人に相談するうち、着物を着るから落語家やと思って間違えてはいったのは時代劇の世界。東映の太秦撮影所で時代劇の大部屋俳優として、斬られ役や通行人を務める日々が始まり、5年ほど続けました。

「この人、おもしろいな」

その後、結婚して子どもも生まれ、家族を養う必要に迫られました。建築板金やトラック運転手、六甲山でチェーンソーを使い送電線の邪魔になる木を切り倒す「伐採(そらし)」の仕事などを転々としました。

そういう暮らしの中でふとよぎったのは、立川志の輔師匠の落語で受けた衝撃のことでした。「もし落語家になっていたら、どんな人生やったんやろう」という思いがありました。話を聞いた妻は、「一度、落語を見てきたら」と勧めてくれました。

安い木戸銭で気軽に通える落語会をあちこち巡るうちに、「この人、おもしろいな」と強く印象に残る高座がありました。何度目かに、その演者がいつも同じ人物だったことに気づきます。後に師匠となる笑福亭仁智でした。

弟子入り志願

「わかりやすくて面白い。一人でこんな世界を作れるなんて凄い」。この人の弟子になりたいと心から思いました。「もういい歳やし、断られるかもしれん」という気持ちと、後悔したくないという思いが入り交じりながらも出待ちを敢行。一度目も二度目も、師匠は車でさっと立ち去りました。三度目に行きつけの居酒屋に入っていく師匠を追いかけ、ようやく声をかけることができました。

「弟子を募集していませんか?」「募集はしてないけど」から始まり、師匠は「ウチの一門は入門する時に一つ落語を覚えてきてもらう」と返してくれました。当時、落語の演目すらほとんど知らなかった私がとっさにひねり出したのが、かすかに名前を記憶していた「ちりとてちん」でした。師匠から「だいぶ長いけど、大丈夫か?」と問われて「長いんや…」と思ったぐらいでした。

毎日が夢の中

そこから1ヶ月間、YouTubeを頼りに必死に言葉を頭に叩き込みました。上方落語協会の会館で、スーツ姿のまま師匠の前で披露しました。たどたどしい噺だったはずですが、正式に弟子入りが認められました。2013年10月1日、35歳目前でした。

入門してからの3年間の修行生活は、決して楽なものではありませんでした。すでに子供が3人いたため、修行が終わってから、深夜にトラック運転手のアルバイトなどをして生活費を稼ぎました。肉体的には限界に近かったはずですが、自分が憧れた場所なので、毎日が夢の中にいる感覚でした。一方で、師匠の前座として高座に上がる時は、師匠の目があると思うといつも緊張していました。ただただ師匠への感謝しかない修行時代でした。

ようやく見つけた「居場所」

年季が明けた後も、師匠や先輩のおかげで多くの高座の出番をいただきました。年間100回ほどの高座に上がることができました。仁智一門の兄さん方は、落語をほとんど知らなかった私に対して何でもよく教えてくれました。

振り返れば回り道の多い人生でしたが、良い居場所を与えてもらったという感謝の気持ちでいっぱいです。これからの私の夢は、大層な名声を築くことではなく、この大好きな落語の世界に一日でも長く居続けることです。そのためには、何よりも稽古を続けて、お客さんに喜んでもらえる高座を務めなければなりません。今日も座布団の上で、心を込めて噺に向き合っていきます。
(7月16日 神戸新開地・喜楽館にて)

*「取材を終えて」(楠木新)

この日の喜楽館昼席の演目は「荒大名の茶の湯」。豊臣方の荒大名たち、福島正則や加藤清正が登場する噺ですが、笑福亭大智さんの迫力ある体格と雰囲気にぴったりだと感じながら聴きました。

会議室で話を聴いているうちに、大智さん自身が落語の登場人物のように思えてきました。ノストラダムスの大予言を本気で信じる。バイクに触れると思って建築板金の会社に入社する。落語家になろうと動き出すと時代劇の大部屋俳優になっている。どこへ向かおうとしても、思いがけない方向へ転がっていく。そのたびに「よくぞご無事で」と笑ってしまいました。

弟子入り志願の際の「弟子を募集していませんか?」「募集はしてないけど」という師匠とのやり取りも、なぜかおかしい。落語のマクラのようです。

落語家を長く続けるための条件を聞くと、「不祥事を起こさず、悪さをしないこと」という答えが返ってきました。「そこですか」という感じで、どこまでが本気かよくわかりません。大智さんへの取材は、終始笑いが絶えませんでした。

それでも一貫して感じたのは、大智さんが落語という世界に対して抱く、飾らない感謝の気持ちです。板金屋、役者、木こりと、いくつもの仕事を経験したからこそわかる「ここでなら生きていける」という安心感。遠回りしてきた分だけ、その居場所への思いは深いのだと思いました。

とにかく楽しみながら落語を続けてください。
「期待してまっせ―!」

<楠木新(クスノキアラタ)>
1954年神戸新開地界隈で生まれる。
大学卒業後、日本生命に入社。
50歳から勤務の傍ら、取材、執筆、講演活動に取り組む。
2015年定年退職。
2018年~2022年神戸松蔭女子学院大学教授。
25万部超のベストセラーになった『定年後』をはじめ著書多数。

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