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執筆家の楠木新さんがインタビュアーとして、
噺家の皆様に「落語家になったワケ」をお聞きした読み物になります。
第六十回は桂源太さんです!
人生の中で落語家になった転機をインタビュー。
ビジネスマンなどにセカンドキャリアのご参考になるかも...?!
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幸せな気持ちになってもらえる落語家に
(桂源太インタビュー)
本名:松山 直樹
生年月日:1996年(平成8年)3月8日
出身地:大阪府八尾市
入門年月日:2018(平成30年)年4月18日 師匠「桂雀太」
公式X:@katyuragentaaa
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大阪府八尾市で生まれ育ちました。物心ついた頃からテレビのお笑い番組にかじりついていて、チュートリアルさんがM-1グランプリで優勝した瞬間を見たときは「こんなにおもろいものがあるんや」と強烈な衝撃を受けました。小学校に上がる頃にはすでに「お笑い芸人になりたい」という思いを抱いていたんです。
ですが、親にその夢を打ち明けた際、「無理やろ」と一蹴されてしまい……。子どもながらに深く傷つき、それからは誰にも言わなくなりました。中学の卒業式で語った「獣医になりたい」という将来の夢も、まったく心にもないことでした。
中学時代は陸上部、八尾高校では硬式テニス部に所属し、学校生活自体は友人ととても楽しく過ごしていました。
関西学院大学に入学後、落語研究会(落研)が漫才もやっていると知り、「漫才ができるなら」と入部を決めました。当時は落語を一度も聴いたことがない状態でした。
入部してみると「年に2回は全員落語をやらないといけない」という決まりがあり、1本だけネタを覚えてこなしていました。本気で取り組んでいたのは漫才のほうでしたが、プロを目指してがむしゃらにやりたい自分と、相方との熱量にギャップが生まれてしまいました。「落語なら1人でできるな」と気づいたのはその頃です。
そんな折、学生落語の全国大会のDVDを観る機会がありました。同世代の学生たちが披露する落語がめちゃくちゃ面白くて……。「じゃあ本気でやってみよう」と、1年生の夏頃には漫才から落語へと一気に軸足を移しました。


大学2年の冬、岐阜で開催された第13回全日本学生落語選手権「策伝大賞」に出場し、演目『河豚鍋』で運良く策伝大賞を受賞することができました。
実はその日、両親が内緒で会場に観に来ていたんです。表彰式の舞台上で「将来は落語家になります」と宣言したのが、家族の前で初めて自分の進路を口にした瞬間でした。普段は厳しい親ですが、「これだけ一生懸命やっているなら仕方ないか」と理解してくれました。
それからは就職活動には目もくれず、3年生からは週に2〜3回のペースで落語会に通い詰めました。上方の落語家さんはほぼ全員観たと言えるほど、高座に通う日々を送りました。
そうしているうちに、現在の師匠である桂雀太の高座に出会いました。「この人、もし同い年やったら絶対友達になってたやろな」と直感的に感じたのです。「この人の言うことなら、何を言われても素直に聞ける」とも思いました。
大学4年の秋、繁昌亭で師匠の独演会があった日に出待ちをし、「弟子にしてください」と直接志願しました。
いきなりやって来た見知らぬ大学生に、師匠は「マジか!」とかなり驚かれていましたね。その日は打ち上げがあったため「後日電話する」と言われ、用意していた履歴書を手渡して帰りました。翌朝、師匠からお電話をいただき、いろいろとお話しした上で、大学卒業直後の2018年4月18日に正式に入門が決定しました。22歳の春でした。
修業期間は2年間でした。最初の1年は毎日師匠のご自宅へ通い、掃除や着物の畳み方、洗い物など前座としての基本を叩き込まれました。ただ、師匠のご自宅はいつも綺麗なので、だんだん掃除するところが無くなってきて(笑)。「もう家に来なくてええわ、現地集合で」ということになりました。
師匠の指導方針はとてもシンプルで、「とにかく大きい声で、高い声で」というもの。技術的なこと以上に、その姿勢を徹底して教え込まれました。
師匠とは考え方の根底がよく似ていると感じます。「これって意味があるんかな?」と疑問を持つポイントなども共通しています。後から知ったのですが、師匠がラジオ番組で「お弟子さんはどんな人ですか」と聞かれた際、「俺かと思うくらい似ていますね」と答えてくださっていたらしく、最高の師匠を選んだと思っています。
年季が明けてからのしばらくの間は、ずっと自信が持てずにいました。学生時代はどこで演じてもウケていたのに、プロになった途端、まったくウケなくなったんです。理由が分からず、「自分は向いていないんじゃないか」と強い不安を抱えていました。
ちょうどコロナ禍とも重なり、高座の機会もお客さんの数も減っていたため、焦りは増すばかりでした。
今振り返れば、学生時代は観客の皆さんに「下駄を履かせてもらっていた」のだと思います。孫のような世代の学生が一生懸命やっているだけで、温かい目で見てくださっていた。
しかしプロの世界にそんな甘えは通用しません。その当たり前の事実に気づくまで、時間がかかってしまいました。
大きな転機となったのが、2022年のNHK新人落語大賞での決勝進出です。決勝で優勝することは叶いませんでしたが、「自分がやってきた方向性は間違っていなかった」と背中を押してもらえた感覚があり、そこから気持ちが大きく前向きに変わっていきました。
また同時期に、師匠が企画してくださった「おもしろハッピー落語会」という全国ツアーで、猛者揃いの先輩方の背中を追いかけながら毎回の高座に挑む中で、少しずつ芸の骨格が太くなっていくような感覚を得ることができました。
今後の目標は、全国で独演会を開催できる落語家になることです。現在は心斎橋の会場(約130人規模)で定期的に独演会を行っていますが、今後も研鑽を積んで、各地の大きな会場で独演会ができるようにチャレンジしていきます。
また、大学の落研時代からの仲間と共に結成した落語家ユニット『三日月の会』でも各地を巡回しており、この活動もさらに発展させていきたい。
私が目指す理想の落語家像は、お客様に笑っていただくことはもちろん、「幸せな気持ちになって帰っていただける高座」を届けることです。仕事や家庭で少し辛いことがあっても、「明日からまた頑張ろう」と思ってもらえるような時間を提供したい。型にとらわれず、自分らしく喋れる落語家を目指して歩み続けたいと思っています。
(7月9日 神戸新開地・喜楽館にて)

*「取材を終えて」(楠木新)
喜楽館昼席で『延陽伯』を演じた後の桂源太さんにお話をうかがいました。昼席では簡単な一言「こんにちは」的な挨拶をして明るく元気に舞台に登場されました。
桂源太さんへのインタビューを始めると、若さいっぱいで語ってもらいました。「とにかく大きい声で、高い声で」という師匠の教え通りだと感じました。
落語家さんにお話しを聴いていると、各種の賞レースのことを話す人が少なくありません。源太さんがまず大学2年生の時に、策伝大賞の受賞で落語家になる決意をして、年季明けの後に、NHK新人落語大賞での決勝進出で落語に対する自信を取り戻したという話を聴いて、賞にもいろいろな役割があると思いました。会議室では、明るくてシンプルな語り口で、話がテンポよく進んだのが印象的でした。
「幸せな気持ちで帰ってもらえる落語家になりたい」という言葉は、自分の枠組みを超えた大きな目標だと感じました。同時に、30歳の落語家の言葉として、なんともいい重みがありました。これからの益々の活躍で、幸せパウダーを一杯まき散らしてほしいと思いました。「期待してまっせ―!」
<楠木新(クスノキアラタ)>
1954年神戸新開地界隈で生まれる。
大学卒業後、日本生命に入社。
50歳から勤務の傍ら、取材、執筆、講演活動に取り組む。
2015年定年退職。
2018年~2022年神戸松蔭女子学院大学教授。
25万部超のベストセラーになった『定年後』をはじめ著書多数。


