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執筆家の楠木新さんがインタビュアーとして、
噺家の皆様に「落語家になったワケ」をお聞きした読み物になります。
第四十回はヴァチスト太田さんに
『役者・女芸人・占い師』になったワケを伺いました!
人生の中での転機をインタビュー。
ビジネスマンなどにセカンドキャリアのご参考になるかも…?!
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私が、役者・女芸人・占い師になったワケ
(ヴァチスト太田インタビュー)
生年月日 1973年(昭和48年)6月13日
出身地 大阪府
特技 パントマイム/タロット占い
職業 役者/女芸人/占い師
趣味 腸活/クリスタルヒーリング/米粉パン作り
公式ブログ https://ameblo.jp/vachist/
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今から振り返ると、絵を描くのも、占いも、演劇も、ぜんぶ小学生の頃からやっていました。いつも落書き帳を手放さず、雑誌の占い特集に目を通して、血液型の本も読んでいました。小学校5,6年生の時は演劇クラブで活動していました。
中学に入ると、自分たちで顧問の先生を探して演劇サークルを立ち上げました。3年生の時には大阪府の中学校演劇祭で最優秀賞をいただきました。あのときの達成感はいまでも忘れられません。
高校では演劇部に入らなかったのですが、1年生の文化祭で演劇部に顔を出し、台本を書き換えたり、演出をしたり、出演もしました。絵を描くことは一人でも完結できるので、舞台よりも形にしやすいのでは?と、高校時代もずっと描いていました。美術大学を目指して予備校にも通いましたが、倍率も高くて入学はかないませんでした。そこで進んだのが、大阪芸術大学附属大阪美術専門学校のイラストデザイン科です。
その学校は本当に自由な校風で、2年間楽しく学びました。2年生になると進路を決めることになります。学校に来ていた求人票をきっかけに、大手企業の靴下企画デザイナーとして就職しました。子ども向けの伸びるソックスの絵柄を描く仕事で、配色やデザインを工夫するのがとても楽しかった。売れ筋の商品を手がけチーフにもなりました。
一方で、学生の頃に作品展など3か所でチラシを手に取り、何故か氣になりパントマイムのワークショップに参加。言葉のない身体表現に興味を持ちました。就職して収入を得たので、終業後にパントマイム教室へ通い始め、マイマーとしての活動も始まりました。
平日は靴下デザイナー、週末は白塗りをしてピエロの仕事。年齢も性別も関係なく、何者にでもなれる。パントマイムにはそんな深さがあり、そこでは老若男女、色んな「私」を表に出してあげる事ができる!と、デザイナーをやりながらコピー機の前で筋トレしていたので、マイムの基礎の身体ができたのでは?と思います。

靴下デザイナーとして自分を活かし働いてはいたのですが、心の奥では「もっと面白いことがしたい」という気持ちが強くなっていきました。会社には「2年で辞めます」と伝えたのですが、「もう一年だけ引き継ぎを」と言われ、結局3年間勤めました。
退職後はピエロの仕事だけでは生活できず、もやもやしていたときに、雑誌『ぴあ』で劇団ワハハ本舗の社長(演出家)が大阪でワークショップを開くという記事を見つけました。5日間の講習を受けたところ、すっかりハマってしまったんです。
その年の12月、カバンひとつで上京。社長の自宅に居候させてもらい、1年半後の26歳のとき、正式にワハハ本舗へ入団しました。
全体公演をはじめ、芝居やTVドラマ、映画、ライブにも出演。パントマイムの経験を活かせるネタは、喋りながらのマイム「セクシーパントマイム」でした(笑)
芝居の世界は最初ほとんどお金になりません。そんな中で、知人のバーで高校2年生から続けていたタロット占い師として働くようになりました。これまでに占った人数は4万人以上になります。タロットカードを広げるたびに、その人の人生の物語を共有できるような感覚があります。「今まで使ってきた重い荷物をおろすと楽ですが、どうします?」と問いかけ、選んでいただいた方向に導くセッションをさせていただいています。
また生活のために、派遣で洋服や家電の販売も経験しました。昔なつかしいファックスの店頭販売も家電量販店で経験したこともあります。何台も売れるので、店からはよく声がかかりました。「どこで人気になっとんねん!」と苦笑いしたこともありました。
2004年からは、ドラムだけの伴奏で、昭和歌謡曲の替え歌ショーも始めました。渋谷のライブハウス『青い部屋』(戸川昌子さんのシャンソニエ)で月に一度出演していました。素顔でリハーサルをしていたら、戸川さんから歌い出したとたん「あら、ヴァチストさんだったの!?」と言われ、「あんたのステージはそのまま続ければ良いわよ。」のお言葉、今でも大切にしています。
子どもの頃からずっと「好きなこと」を続けてきましたが、私にとってのテーマは「お金」というエネルギーの回し方なんです。
上手に回さないと、ゲッソリ痩せてしまいます。
劇団公演ではある程度の収入がありましたが、その合間のお仕事は食費と交通費で消えていきます。今もお声がかかると「面白そう!」でOKし、稽古が3週間続くと食費を削るのでゲッソリ痩せます。先日は痩せすぎて周りから心配されました(笑)
占いでも「もっと料金を上げたら?」と言われるのですが、なかなか出来ないのです。ステージでいただくお金で余裕が出ても、それを使って自費で行きたい地方に歌謡ショーや占いを運んでいるので、そこで収入が少なかったら、またダイエットです。これからは「応分の出演料はいただきますよ」と胸を張って言える自分でありたい。
販売員などの仕事をもっと積極的にやればいいのでしょうが、やっぱり「ほんとうにやりたいことではない」と躊躇してしまいますね。面白くないと身体に蕁麻疹がでるんです(笑)
2011年、桂あやめ姉さんからお声がけいただき、「女芸人キャバレーナイト」にレギュラー出演するようになりました。2か月に一度、大阪のカフェでの公演です。今回、喜楽館の昼席でパントマイムを披露できたのも、これまで積み重ねてきたものをお届けできた証のように感じています。
2022年3月、長年所属したワハハ本舗を退団してフリーになりました。役者として、女芸人として、占い師として、何をしていても「楽しい笑顔の周波数」をお届けするのが私の願いです。時の流れに身を任せながら、まだ世に出していない自分を見出していきたい。そして、これからも各地を飛び回ってエネルギーをイキイキ回したいです。
当面の目標は、「ヴァチスト太田後援会」を作ってもらえるようになることです。そんな奇特な方々募集中です!それにはもっとオモロなこと演り続けたいですね。
これからも色んな感情の荷物をおろして、今、今、今を生き切ります。軽やかに今日も笑顔で舞台に立ち続けます。
(10/8 神戸新開地の喜楽館にて)

ヴァチスト太田さんには、喜楽館の昼席のあと、会議室でお話をうかがいました。
舞台ではパントマイムに加えて、山口百恵の「プレイバックPart2」の替え歌を披露し、紫式部まで登場させる展開に会場は大いに沸きました。昭和歌謡が好きな私も、思わず笑ってしまいました。
ご自身が役者・芸人・占い師へと歩んできた経緯を、楽しそうに語られる姿が印象的でした。お話を聴きながら感じたのは、自らの芸によって生計を立てていなければ芸人と言えないのか、ということでした。もちろん生活ができれば理想ですが、それが表現者、すなわち芸人、役者、芸術家、著述家などの唯一の条件ではないように思います。
表現者とは、職業である以前に一つの「生き方」と言えるのではないでしょうか。ヴァチスト太田さんが語った「まだ世に出していない自分」という言葉は、そのことをよく表しているように感じました。
とはいえ、芸で稼ぐことの大切さも変わりません。これからもその個性と感性を存分に発揮して応分の収入も確保されることを「期待してまっせー!」
<楠木新(クスノキアラタ)>
1954年神戸新開地界隈で生まれる。
大学卒業後、日本生命に入社。
50歳から勤務の傍ら、取材、執筆、講演活動に取り組む。
2015年定年退職。
2018年~2022年神戸松蔭女子学院大学教授。
25万部超のベストセラーになった『定年後』をはじめ著書多数。


