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2025/10/20

第三十七回 OLからNSCを経て落語家へ <​桂 おとめインタビュー>

執筆家の楠木新さんがインタビュアーとして、
噺家の皆様に「落語家になったワケ」をお聞きした読み物になります。

第三十七回は桂 おとめさんです!
人生の中で落語家になった転機をインタビュー。
ビジネスマンなどにセカンドキャリアのご参考になるかも…?!

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OLからNSCを経て落語家へ
(桂 おとめインタビュー)

 

芸名 ​​桂 おとめ(かつら おとめ)
出身地 大阪府
入門年月日 ​2017年(平成29年)3月1日 師匠「桂 あやめ」
公式X @hanato_nekoto

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「恥ずかしがりやの出たがり」

子どもの頃から人を笑わせたりするタイプではなく、どちらかと言えば笑われる側だったかもしれません。ただ、学芸会の役に立候補したり、放送委員としてアナウンスを担当したり、敬老会で友達と歌や踊りを披露したりしていました。人前に出ると妙な高揚感がありました。「恥ずかしがりやの出たがり」という矛盾した性格だったのかもしれません。

中学、高校に進むと、友人たちと賑やかに過ごす日々が続きました。高校では部活動には入らず、アルバイトを経験したり、ファッションに興味を持ったりしていました。当時は、落語やお笑いを将来の仕事にするなどという発想は、まったくありませんでした。

給料未払いのまま退職

高校を卒業後、大阪のカラーコーディネーターの学校で一年間学びました。その後は派遣社員として事務職を経験した後に、正社員として歯科医院に就職しました。

歯科衛生士のファッションが可愛かったのと待遇も良かったのです。受付やカルテ管理、保険請求などをこなしながら数年間勤めました。

その後、30人程度の中古パソコンの卸・販売会社に転職しました。私は総務を任されました。ところが、勤め始めた半年後から資金繰りが回らなくなり、給料の遅配が始まったのです。社内の雰囲気も次第に悪くなりました。結局、数ヶ月の給料(数十万円)が未払いのまま退職することになりました。

吉本総合芸能学院(NSC)に入学

その後、書店で立ち読みしていた時に、偶然吉本総合芸能学院(NSC)の募集広告を目にしました。少し前に占いで「芸術系やアーティストに向いています」と言われたことが頭に残っていました。少しズレているような気もしましたが、特にやることもなく、「何か面白そう!」という直感で入学を決めました。

授業は私にとって刺激的で、漫才やコント、1分間スピーチなどの課題に挑戦。女性とコンビを組んでM-1に出場しましたが1回戦敗退。ピン芸のR-1では1回戦を突破しました。私にとっては夢中になれる時間でした。1年間で卒業し、その後は授業のアシスタントとして学院に残りました。

落語との出会い

桂きん枝師匠(現・桂小文枝〈4代目〉)が選挙に出馬されることになり、学院のマネージャーから応援を頼まれました。事務所に詰めてはがきを書いたり、ウグイス嬢を務めたりと、2週間ほどお手伝いをしましたが、とても楽しく充実した日々でした。

そして、その活動を通じて知り合った人に誘われ、初めて落語を観る機会がありました。演目は『看板のピン』。登場する“アホ”な人物像が自分に重なるように思えて、不思議と親近感を覚えたのです。これが、私と落語との最初の出会いでした。

その後は落語会にも足を運ぶようになりました。漫才やコントに比べると、古典落語には台本のように積み重ねられてきた型があり、一方自分で作る新作落語もある。そこに大きな魅力を感じました。本気で落語家になろうと決心して、コンビの相方に伝えると、彼女は芸能界を引退するつもりだったので、円満に解散となりました。

桂あやめ師匠に入門

女流であり、創作落語にも力を入れている桂あやめ師匠に、弟子入りをお願いする機会をいただきました。ところが初対面で師匠から「ぬるいな、気持ちが伝わってこうへんな」と言われ、自分の甘さを痛感しました。

どうすればよいのか悩み、友人にも相談しているうちに、4日間も熱が続きました。1週間後、新作落語を書き上げ、師匠に電話を入れました。そしてスターバックスで、近くにいるお客さんの視線を気にしながら、その噺を読み上げたことを今も覚えています。

あやめ師匠は「面白くないけど、気持ちというかやってきたことは認める」と言ってくださり、2017年1月に見習いとして付きました。そして同年3月、正式に入門することとなったのです。

3年間の弟子生活

入門した当初は、すべてが新鮮で毎日が楽しく感じられました。あやめ師匠のお仕事は落語にとどまらず、お芝居やラジオ、テレビなど多岐にわたり、私もさまざまな場に同行させてもらいました。

しばらくすると、「もっと頑張らなければ」と痛感するようになります。高座でウケないこともあり、不器用なため鳴り物もなかなか上達しません。覚えることは山ほどありました。加えて、両親や祖父母が福岡出身のため、イントネーションを直す必要もありました。師匠に稽古をつけてもらう時には、その場でうまく返せない自分に落ち込み、声を出すことさえ怖くなる時期もありました。

弟子生活は3年間。悩むことはあっても、「辞めたい」と思ったことは一度もありません。楽しいし、何より居心地がいいのです。楽屋も和やかで、根性の曲がった人はおらず、みなさん前を向いて歩んでいる。

またあやめ師匠を近くで見ていると、人のために動かれる姿がとても印象的でした。「みんなが幸せになったらいいやん」というスタンスで、さまざまな催しや企画に取り組んでおられる。その背中を間近で見られることが、何よりの学びでした。師匠のもとに入門できたことはとても幸運でした。

やっぱり稽古を積み重ねるしかない

独立してから5年。年季が明けた頃はちょうどコロナ禍で、いわゆる前座バブルと呼ばれる時期もなく、仕事はほとんどない状況が続きました。それでも、不思議と焦らずに過ごすことができました。

今、高座にかけられる噺は20数本ほど。そのうち新作は3分の1くらいで、まだまだ数が足りません。また、師匠や先輩方は、その日の客席の雰囲気を把握し、最適なネタを選んで高座に上がられますが、私はどうしても決め打ちの噺を演じることが多いのです。

もっと手持ちのネタを増やし、客席の空気を感じ取る力を磨きたい。お客さまの期待に応えられるようになるためには、やはり稽古を積み重ねていくしかありません。

近年、女性落語家の先輩方が活躍されています。正直に言えば、女性が落語を演じるのは簡単ではないと感じています。私自身、まだまだ努力が足りません。一歩一歩、積み上げながら前へ進んでいきたいと考えています。
(8/14 神戸新開地の喜楽館にて)

*「取材を終えて」(楠木新)

喜楽館の会議室で待っていると、桂おとめさんは、「私の人生は薄っぺらいですよ~」と笑いながら入ってこられました。これまでのインタビューにはない、印象的な初対面でした。

私の質問に対して、一つひとつ丁寧に、かつ率直に答えていただきました。お話の内容には終始どこか不思議な衣をまとっているような雰囲気がありました。それは、おとめさん自身が語られた「恥ずかしがりやの出たがり」という個性から来ているのかもしれません。

会社員時代の大変な経験が、NSCに通うきっかけとなり、やがて落語家への道につながったという流れは興味深いものでした。「根性の曲がった人はいなくて、皆さん前を向いて歩いている」という発言も会社員を経験していたからこそ感じられるのでしょう。

これからも噺のネタの数を増やして、客席の空気を敏感に読み取り、多くのお客さんを楽しませてください。「期待してまっせ―!」

<楠木新(クスノキアラタ)>
1954年神戸新開地界隈で生まれる。
大学卒業後、日本生命に入社。
50歳から勤務の傍ら、取材、執筆、講演活動に取り組む。
2015年定年退職。
2018年~2022年神戸松蔭女子学院大学教授。
25万部超のベストセラーになった『定年後』をはじめ著書多数。

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