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執筆家の楠木新さんがインタビュアーとして、
噺家の皆様に「落語家になったワケ」をお聞きした読み物になります。
第二十三回は桂 紗綾さんです!
今回は、2025年1月9日に、喜楽館の舞台に立った
朝日放送アナウンサーの桂紗綾さんにお話をうかがいました。
桂紗綾さんは、この日の喜楽館昼席「長講を聴く〜桂春蝶の巻〜」では、
色物として「ニュース寄席集め」を、夜の元気寄席では、創作落語『初鳴き』を披露しました。
また桂紗綾さんは喜楽館のアンバサダーも務めています。
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アナウンサーと社会人落語家との二刀流
(桂 紗綾のインタビュー)
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子どもの頃は、NHKの7時のニュースを見て、気象予報士になりたいと思ったことがありました。塾の先生に進路を相談したときに、「お天気お姉さんに興味があるのだったら、 アナウンサーという職業もあるよ」と教えてくれました。
色々な人に出会って、感じたことを自分の言葉で伝えることに魅力を感じました。感情を込めた朗読も好きだったので、高校生の時から素敵な仕事だと憧れていました。
大学2回生からは、アナウンサー学校に通いました。就職活動でも、アナウンサー職だけに絞って、一般企業を訪問することはありませんでした。
東京をはじめ全国を廻って 30社近く受けたと思います。ご縁があったのが、朝日放送テレビ株式会社でした。私は和歌山出身で、『おはよう朝日』を観て育ったので、なじみのある放送局でした。両親も喜んでいました。
2008年4月に入社してすぐに、毎日8時間くらいの研修がみっちりありました。5月30日にアナウンサーとしてデビュー。2、3ヶ月間トレーニングを積むと、ある程度の形にはなりますが、そこから毎日徹底的にニュースを読み込むのが新人期間になります。
誰にも聴きやすいように上から流れてくるように読む、リスナーにお年寄りの方が多いとゆっくり読むといったことも意識しなければなりません。1つの専門職というか、技術職に近いかもしれません。
仕事では毎日一生懸命で、いつも必死でした、未経験の対応を求められることや、いきなり外国に行って取材することもありました。何もわからない田舎の人間でしたから鍛えられました。最近の後輩を見ていると、しっかりしていると驚きます。先輩やスタッフの方々も今よりも厳しくて、怒られることも結構ありました。
30歳過ぎで落語に出会えたのは、アナウンサーとしてやっていく面でも、生きていく面でも、大きなターニングポイントだったと思っています。
正直に言うと、その頃はあまり仕事が楽しくなかったのです。女性アナウンサーは30歳くらいが1番難しい。若いだけではうまくいかない。かといって、自分は何をやりたいのかが、ぼやけてきていたのです。ナレーションとか朗読とかは大好きだけれども、一体どういう方向に進めばよいのかわかりませんでした。
当時、ラジオで若手の落語家さんや漫才師さんにインタビューする番組を担当しました。お話を聞くには、皆さんの芸を見ないといけないと思ったので寄席や落語会によく足を運ぶようになりました。その中で出会ったのが桂春蝶師匠。新作も古典も両方素晴らしくて、めちゃくちゃ笑わせる噺もあれば、本日の喜楽館昼席(『芝浜』)のように人情噺もあって、「素敵だな、面白いな」と憧れていました。
私は、赤井英和さん、トミーズ雅さんがMCをしていた『ごきげん!ブランニュ』というバラエティ番組に出ていました。その番組でご縁のあった月亭八光さんと久しぶりに出会った時に、「今、私は落語にめっちゃハマっているんです」と話すと、「それじゃ落語やってよ」という返答でした。いきなりは無理ですと答えると、八光さんに「俺でもできてんねんから大丈夫や」と言われて、なぜか説得力がありました(笑)。
八光さんがやっている『狸賽』(たぬさい)のネタを覚えて、「お稽古をつけてください」とお願いすると、「ごめん。俺、稽古つけられへんから」と断られました。お客様からお金をいただく落語会だったので不安になりました。
「春蝶師匠にお稽古つけていただいてもいいですか?」と八光さんに聞くと、「全然いいと思うよ」と、春蝶師匠にお願いしてお稽古をつけてもらうことになりました。
2ヶ月ぐらいでその高座に上がりました。2018年4月です。「お客様は ここで笑ってくださるんだ」ということだけは覚えていましたが、緊張で自分がきちんと喋れていたかどうかはわかりませんでした。ただ終わった後は、これからもやりたいと思いました。
その年の12月に、大阪府池田市で開催された「社会人落語日本一決定戦」に出場しました。新人の女性アナウンサーを主人公にした『初鳴き』 という創作落語で池田市長賞をいただきました。
その後は、2019年1月から2024年9月まで、金曜日の早朝に『朝も早よから桂紗綾です』というラジオ番組のパーソナリティを担当して、落語家さんをスタジオに招いて話を聞く機会も多く持ちました。
その頃は、年に2、3回落語会に出演する程度だったのですが、2020年にコロナ禍で繁昌亭や喜楽館、各地の落語会も閉まってしまいました。緊急事態宣言が明けて、みんな一生懸命やっているけれども、やはりお客さんが離れている感じがありました。ラジオ番組でも落語の魅力を伝えていたのですが、もっと私自身が表に出て、お客さんに来てもらおうと考えて、2021年に桂春蝶師匠と「 落語と文学の会」を立ち上げました。
初代三遊亭圓朝がグリム童話からヒントを得て創作したといわれる古典落語『死神』という噺があります。第一回は、私が基の童話を朗読して、春蝶師匠が落語を披露するという形で実施しました。これが好評で、繁昌亭で2日間とも満席になりました。現在も回を重ねてシリーズになっています。私も毎回違うネタの落語を披露しています。
落語に取り組んでいくと、本業のアナウンサーの仕事にも好影響があることを実感します。特に、1人で喋ることが怖くなくなりました。また落語は自分で脚色する部分がありますが、ナレーションや朗読での技術面にもそれが活きていると感じています。今後もアナウンサーの仕事を続けながら、落語も演じていくつもりです。
(1/9 神戸新開地の喜楽館にて)
この日の喜楽館の昼席では、桂紗綾さん自身が首からぶら下げたボードの上にマイクをしつらえて、アナウンサーとして落語のネタや落語家さんの楽屋ばなしをニュース形式で喋っていました。なにしろ本物のアナウンサーが語る「ニュース寄席集め」なので、初めて観た芸に観客席も大いに沸いていました。
「ニュース寄席集め」を演じる桂紗綾さん
一番印象的だったのは、落語に取り組むと、アナウンサーの仕事にも好影響が生まれると話された点でした。私は会社員に対する取材で、「会社員の自分」のほかに、「もう一人の自分」を発見して充実した会社生活を送っている人に興味をもってきました。桂紗綾さんも、まさに「アナウンサーの自分」のほかに、「落語に取り組む自分」があります。
桂紗綾さんがナレーションを担当したABCテレビ製作のドキュメンタリー『こどもホスピス~いのち輝く”第2のおうち”~』が、「2023 年日本民間放送連盟賞・テレビ部門 準グランプリ」を受賞したのは、アナウンサーと落語との相乗効果も大きかったのでしょう。
今後も、上方落語界の発展や喜楽館の繁栄にも大いにご活躍ください。
「期待してまっせ―!」
<楠木新(クスノキアラタ)>
1954年神戸新開地界隈で生まれる。
大学卒業後、日本生命に入社。
50歳から勤務の傍ら、取材、執筆、講演活動に取り組む。
2015年定年退職。
2018年~2022年神戸松蔭女子学院大学教授。
25万部超のベストセラーになった『定年後』をはじめ著書多数。