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トップページ > ニュース >  私が落語家になったワケ   >  第四回「工場長から落語家へ」<桂文五郎インタビュー>

2024/07/04

第四回「工場長から落語家へ」<桂文五郎インタビュー>

執筆家の楠木新さんがインタビュアーとして、
噺家の皆様に「落語家になったワケ」をお聞きした読み物になります。

第四回は桂文五郎さんです!
人生の中で落語家になった転機をインタビュー。
ビジネスマンなどにセカンドキャリアのご参考になるかも…?!

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「工場長から落語家へ」(桂文五郎のインタビュー)

 

芸名 桂文五郎(かつらぶんごろう)
本名 杉本 岳志 (すぎもと たけし)
生年月日 1984年 (昭和59)年 9月8日
出身地 大阪府堺市
入門年月日 2013年 (平成25年) 1月1日「桂文珍」

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オートバイ会社で工場長に

祖父が仕立て屋の仕事をしながらラジオでよく江戸落語を聴いていた。おじいちゃん子だったので自然と噺が耳に入ってきた。入学した今宮工業高校の先輩に桂南光師匠、桂吉朝師匠がいることを知って、上方落語を聴くと面白くて魅了された。

高校の卒業が近づいてきて、「落語家になりたい」と母親に言うと、「あれは仕事ではない。お金を自分で貯めたら好きなようにすればよい」と言われた。そこで落語の次に好きだったオートバイに関わる仕事ということで整備士になった。全国チェーンのバイク販売会社に入社した。

店は夏が特に忙しい。9時に出勤して、夜中に帰ることも多かった。オイル交換や修理、アフターサービスなど仕事は山ほどある。いくらやっても仕事は減らない。「辞めようか」とも思ったが、当時の店長がいい人で、「辞めるんやったら工場長になってからにしろ。それでないと会社のことは語れない」と言ってくれた。関西各地を転勤で廻って24歳の時(入社6年目)に工場長になった。

『三十石』で身体が揺れた

工場長は中間管理職なので、上層部からの業績の数値要請と、部下からの突き上げがあってさらに大変だった。バイクは顧客からのクレームはつきもの。整備士は顧客とのやり取りは少ないが、私は弁が立つ方だったので整備のほかにクレーム担当の役割も担った。

仕事量が心身ともに限界を超えてきた。休職はしなかったが、病院に行くかどうかギリギリの状態だった。何日間は会社を休んだこともある。「頑張りすぎるのはやめよう」と開き直った時に落語を聴き始めた。

「落語は何とハッピーなのか」。たとえ間違ったことや、深刻なことも、気の利いた笑える噺にできる。こんな生き方もあるのだと落語家になろうと決めた。それからは妻にも会社の仲間にも内緒で各地の寄席や落語会に足を運んだ。

妻とは工場長になったときに結婚したが、2年後26歳の時に「落語家になりたい」と打ち明けた。彼女は大反対だった。

仕事の方は限界まで踏ん張るのはやめたがそれほど支障はなかった。落語家になりたいという気持ちでハリが出るとともに気分転換にもなったからだろう。

次は師匠を選ぶという段階になった。寄席には通っていたが、NGK(なんばグランド花月)は初めてだった。桂文珍師匠が漫才と漫才の間に登場し、大爆笑をとっていた。「落語はこんなにおもろいんや!」と思う反面、これはマクラの集合体だからウケているのかもしれない。その後に文珍師匠の独演会で、淀川を下る船上を舞台とする演目『三十石』を聴いた。終わって会場のロビーに出た時に身体が揺れた。船に乗っている感覚がおさまらなかったのである。これはもう文珍師匠しかないと決めた。一緒にいた妻に「文珍に弟子入りする」と話した。彼女は「文珍さんの弟子になれなければ、工場長は続けてよ」と条件を付けた。この制約があれば大丈夫と思ったのかもしれない。

「明日、NGK」

弟子入り志願は、伝手もないので飛び込みしかない。3か月で計5回出待ちを試みた、3回目までは筆頭弟子の楽珍兄さんに話をつないでもらったが、文珍師匠は「工場長をやっているのだったらそれを続けなさい。落語の世界に入ってきてはいけません」との反応だった。4回目で初めて文珍師匠に会えたが、同じスタンスだった。

 一方で社内では退職すると聞いて、多くの上司が「落語家になるのはやめとけ、やめとけ」と引き止めに入ってくれた。それはありがたかったが、ある上司から「どうせしょうもないところにいくのだろう」と言われて、「文珍師匠のところに弟子入りします」と啖呵を切って辞表も提出した。妻には退職のことは黙っていた。

5回目は、「会社を辞めてきました」と文珍師匠に話すと、師匠は空を見上げてすごく嫌な顔をした。退路を断ったので私の顔つきも今までとは違っていたのかもしれない。師匠は「明日、NGK」とだけ言って去っていった。

どうしてよいか分からないので、朝7時にNGKに行って、門番の人に「文珍師匠に来いと指示されました」と話した。10時頃にNGKに入れてもらって、師匠から「袖で一席目を見ていなさい」と言われた。その後、近くの喫茶店で面談になった。今までの仕事や家族のことも細かく聞かれた。最後に「1週間後に君の落語を聞きます。27歳だったら落語できますよね。それでだめだったら諦めてください」と念を押された。

弟子入りが決まる

翌週、師匠の事務所で「はい、どうぞ」と言われて、繁昌亭の落語家入門講座で学んだ「道具屋」と「兵庫船」の2席をやり始めた。「こんにちは」としゃべり出すと「アカンアカン」。「別の噺をやってみて」、「ようよう出てまいりました」、「違う違う」と初っぱなからダメ出しばかり。師匠は「もうええわ、君のやっていることは落語ではございません」。もうだめか、終わったかと思った。

続けて師匠は「ただ君の声が気になる。変わった声なのでどっちに転ぶか分かりません。声でとってあげましょう」と入門が決まった。

妻はまさか文珍師匠が弟子にとるとは思っていなかった。妻の両親は驚き、特にお父さんは激怒した。結婚の挨拶に行った時は収入も安定した工場長だったのに、次に来た時は「落語家になりたい」だったから無理もない。妻が何とかとりなしたが、お父さんから出た条件は「夫婦でウチの家に住め」だった。「お前の動きを見るから」と言われた。今年亡くなったが、昔気質の本当にお世話になったお父さんだった。

泉佐野に住んで、28歳から神戸の師匠宅へ往復4時間かけて通った。弟子の3年間は365日師匠についていた。休みなしで師匠と会わない日はない。毎日叱られていた。移動の車中でも家の中でも突然稽古を言われることがあるので、常に気を抜くことができない。本当によく鍛えられた。

家に帰れば、お父さんの目があるし、往復の4時間だけがホッとできる時間だった。しかし自分で師匠を選んでいるので辛いとは思わなかった。それどころか、師匠の独演会で前座として使ってもらえる。芸を盗むチャンスもある。会社勤めでは経験できないことも教えてもらえる。こんなにありがたい機会はなかった。

落語家としての今後

落語家になって10年余り。当然ながら、まだまだこれから修練や研鑽を積んでいく立場である。かつては落語を誰も聴かない時代がやってくると言う人もいた。しかし年齢を経ると、落語との周波数が合ってくる人は多いので、落語の未来は暗くないと考えている。

私は落語家という違う道に進んだが、サラリーマンが一番偉いと思っている。毎日毎日同じことを繰り返しながら、生産性を高めて、社会や組織をきちんと支えている。私はそのおこぼれをいただいている立場だ。

彼らが仕事で大変な状況になっても、私の落語を聴いて「ああ面白かった」、「気持ちが少し楽になった」とひとときでいいから嫌なことを忘れてほしい。もう少し言えば、「もっと楽に生きてもいいんだ」「ユーモアで切り抜けることができるかもしれない」というメッセージを届けることができる落語家を目指したい。

(5/30 神戸新開地の喜楽館にて)

*「取材を終えて」(楠木新)

工場長の職を投げうってでも落語家になろうとする文五郎さんの姿勢に心が動きました。私は会社員から異なる仕事に転身した人に対する取材を続けていますが、次のステップに移行する時の気持ちや行動に興味を惹かれることが多いのです。

このインタビューの前に、喜楽館での桂文五郎さんの高座を二日にわたって聴きました。各々のマクラで喜楽館のある新開地界隈の人が登場しました。文五郎さんと散髪屋のおじさんや、うどん店のおばちゃんとがやりとりする様子をコミカルに語っていました。

下町に生きる庶民と同じ目線に立って面白がるスタンスに魅了されました。実は、私は40代後半に「このまま会社の仕事を続けるかどうか」で葛藤を抱えて休職しました。その時に、子どもの頃の新開地界隈のオモロイおじさんたちが夢に現れたことがきっかけで解決方向に動くことができました。

文五郎さんの噺を聞いて、仕事や人間関係で悩んでいるサラリーマンが、「今までとは異なる視点で考えてもいいのかな」と気づく人は増えることでしょう。「期待してまっせ~」。

<楠木新(クスノキアラタ)>
1954年神戸新開地界隈で生まれる。
大学卒業後、日本生命に入社。
50歳から勤務の傍ら、取材、執筆、講演活動に取り組む。
2015年定年退職。
2018年~2022年神戸松蔭女子学院大学教授。
25万部超のベストセラーになった『定年後』をはじめ著書多数。

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